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吉川夫人 (尼子経久室) : ウィキペディア日本語版 | 吉川夫人 (尼子経久室)[きっかわふじん] 吉川夫人(きっかわふじん、生没年不詳)は、戦国大名・尼子経久の正室。吉川夫人は後世の呼び名であり実名は不明。吉川経基の長女。吉川国経の妹。 他の兄弟に、石野経守、江田経純、国衙光経、茂経法。妹に笠間刑部少輔室、小河内清信室、綿貫忠澄室、多賀某室、三須清成室、波根泰次室、気比大宮司某室、万里小路賢房室がいる。 == 生涯 == 安芸国・石見国に勢力を張る吉川氏の当主・吉川経基の長女として生まれる。 文明18年(1486年)、尼子経久は主家京極氏の家臣・塩冶掃部介の居城月山富田城を奪い取り、京極氏から独立した。それ以前に応仁元年(1467年)の応仁の乱で尼子経久と共に細川勝元方で戦った吉川経基は尼子経久の才を見込んで、長女の吉川夫人を経久の正室として嫁がせた。一説には、尼子と吉川が争わないようにする為と言われている。 戦国時代の吉川氏が、尼子氏と大内氏の間で揺れる中で、多くの場合尼子氏に味方する等、この吉川氏と尼子氏の政略結婚は後々まで影響を及ぼした。
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